新しい土地でつくる安心感──小さな習慣が心をつなぐ魔法

安心感は、人間の基本的なニーズの一つであり、私たちの生活を心地よく、予測可能にしてくれます。日々のルーティンでは、この感覚にすぐには気づかないことが多いものです。どこかで自分を待っていてくれて、歓迎されていて、ちょっとした「やあ」という挨拶が温かく響く場所でこそ、その感覚ははっきりと姿を現します。もしこの安心感がなければ、まるで支えのないブランコに乗っているような気分になり、いつひっくり返るかわからない不安に駆られ、アイスクリームのことさえ忘れて降りたくなるほど強い恐怖を感じるでしょう(それはそれで、なかなか考えさせられます!)。

外的な事情で帰宅が不可能になってしまった場合──たとえば“解放者たち”がいつもの暮らしへの一歩を阻んでいるような状況では──ストレスはさらに高まります。たとえ身体そのものは新しい国で安全だとしても、心の中には落ち着かない思いが渦巻きます。慣れ親しんだ壁やお気に入りのマグカップ、お決まりの朝食、そして「ここが自分の家だ」と感じさせてくれる街の音が恋しくなるのです。自分の人生をコントロールしたいという思いが一層募り、一日も早く誰かに「もう家のように感じる?」と聞かれたいのに、頭の中では「まだ、長い旅行に出ているみたい。思い出の重さが違うだけ」という声が響くばかりです。

しかし、そこから小さな魔法が始まります。新たな場所で生まれる新しい習慣やちょっとした出来事——夜のティータイム、みんなで台所を片付ける時間、ほとんど聞き慣れたような声で話しかけられる瞬間——が現れてきます。たとえばふかふかの毛布や、ドイツで問題視されるかもしれないボルシチのニンジン入り(話題にするなら自己責任で!)などのちょっとした気遣いが、「ミニホーム」を形づくるレンガになります。毎日少しずつ、この郷愁はまるで雨天のようなものになっていきます。確かにそこにはあるけれど、もう恐怖から傘を手放せないほどではありません。

仕組みは簡単です。周囲からのサポートや繰り返される優しい行動のおかげで、新しい空間を自分のものとして感じ始めるのです。遠く祖国から離れていても、ルームメイトの笑顔を見たり、「またスリッパをリビングに置きっぱなしにしてるよ!」と言われたりする中で(笑、いやスリッパ自体がしゃべるわけではありませんが)、驚くほどの安心感がもたらされます。

安心感を得ることの利点は計り知れません。もう一度笑顔を取り戻し、単純なことから難しいことまで取り組むエネルギーが湧き出てきますし、人間関係を築きやすくなったり、まわりの人々との理解が深まりやすくなります。たとえドイツ語のレベルが「Guten Morgen」とあと10単語くらいしかなくても。その結果、少しずつ新しい自分を形づくることができるようになります。そこには郷愁と今を楽しむ気持ちの両方がちゃんと居場所を持っているのです。

まとめると──帰りたくても帰れないときは、たとえ別の場所にいても自分の“家”を再構築することは可能です。それは、ゆっくりで連続的ではないプロセスですが、小さな勝利にあふれています。たとえば、一杯のお茶や、会話や、微笑みの一つひとつです。最終的に、ある知り合いが言っていたように「どこかで誰かが君を待ってくれているのが一番大事。もしそうじゃなくても、チョコクッキーだけは必ず人を必要とされている気持ちにしてくれるよ!」ということです。

安心感は、寒い冬の夜に包まる温かい毛布のようなもの。なくてもなんとか生きていけるかもしれないけれど、生活は途端に心地よさを失ってしまいます。これは単に物理的な危険から守られているかどうかだけの話ではありません。どんなに快適な海外のアパートにいても、なんだか違和感を覚えることがあるのです。

想像してみてください。ドイツに来たばかりだとして、すべてが穏やかで人々も親切、パンさえも自国より美味しそうにみえる。しかしなぜか息苦しさがある。それは、安心感は壁や鍵だけではなく、“所属感”や朝の馴染みある音、お気に入りのコーヒーの香り、日常の小さなディテールを自分の手でコントロールできることが大きいからです。これらがないと、まるで取っ手のないスーツケースのように、一見ちゃんとしていても持ち上げるのがつらい状態になってしまうのです。

外部のいろいろな事情――たとえば、「解放」されてしまったせいで帰れない――があるとき、特別な種類のストレスが生まれます。見かけ上は平穏で危険もないように思えても、内面では嵐のような感情が渦巻きます。大切な人を想う心、持ち物への郷愁、自分の人生を自分で動かせない怒り。そのようなときに、ビデオ通話で飼い猫を撫でることが心の救いになることだってあります(余談ですが、猫は私たちが悲しいとき、その気配を敏感に感じ取って、キーボードの上でペロペロ舐めてくるものです)。

しかし、そこから小さな魔法が始まります。郷愁を抱えつつも、自分だけの“安心の島”を作り出すことができるのです。あたかも新しい小屋を築くように、気持ちのいい出会いや習慣を積み重ねていきます。たとえばルームメイトとのティータイムを習慣化するだけで、「自分を待っていてくれる場所がある」と思えます。友人とお気に入りの料理の話をしてみましょう。例えドイツ流のボルシチになってもそれは自分のボルシチだし、ニンジン入りでもみんな文句を言わない! さらに、店で「Brötchen(丸いパン)」をアクセント強めで頼んだら、パンとともに励ましの笑顔まで手に入れられた……といった日常のささいなエピソードが、新しい心のよりどころになるのです。

なぜそんなことができるのか? それは繰り返し行う儀式や、相互のケア、小さな成功体験、そして時にはユーモアが、少しずつ自分をコントロールし、自信を回復させてくれるからです。そんな瞬間が積み重なると、内面の土台がどんどん強くなっていきます。そして、次にまたあの温かな集まりや、共用テーブルを囲む夜があるんだという期待が、ちょうど頑丈なバゲットのように、“チーム”を支えてくれるのです。

この安心感がもたらす最大の利点は、自分自身へ帰ってこられることです。再び笑い、計画を立て、ちょっとしたことにも喜べるようになるのです。周囲の状況がどんなに不確実でも、安心感があればただ「生き延びる」だけでなく「今を生きる」こと、そしてありのままの自分でいることができるようになります。心の平穏が、内側から私たちを温め直してくれるのです。

最後に、たとえ故郷のドアが閉ざされていても、忘れないでください。本当の家は、どこにいても自分の中にあって、それは思いやりや笑い声、ささやかな楽しみごとでできています。もしホームシックに襲われたら、思い出してください。たとえ故郷から遠く離れていても、ちょっとしたユーモアで心配を吹き飛ばすことができます。たとえば、「親に電話したかったのに、うっかりタクシーの手配を実家の住所にしてしまった——少なくとも誰かが両親を訪ねてくれるさ!」なんて冗談もありますよね。

安心感というのは、私たちの人生を築く土台のようなものです。家にいるときは、慣れ親しんだ環境がその目に見えない支柱を支えています。お気に入りのマグカップや、静かな朝食、友達の笑い声が聞こえる部屋……それらが予測可能で快適な空間を生み出してくれます。しかし、新しい国(たとえばドイツ)に来ると、言葉も人々も、透明で驚くほどあっさりしたスープまでもが新鮮で、内なるコンパスはドイツのタクシーメーターのように素早くカチカチ動き、なんだか落ち着かない気持ちになります。

“解放者”たちによって帰れないなどの外的な要因で「家に帰る」という選択肢が閉ざされれば、一層安心感は揺らぎます。形の上では何も危機に陥っていなくても、郷愁と不安は心に根を張ります。明日どうなるかもわからず、自分の人生を自分で選択できない状況が、不安定さをさらに強めるのです。本当に必要なのは、頑丈な鍵ではなく、明日はどうなるか、そして自分で自分の道を選べるという予感かもしれません。

こんなときには、小さな儀式やシンプルな実践が役に立ちます。新しく住む場所に自分の足場を作り出し、また安心して立てるようにするのです。たとえば、毎晩同じ場所でお茶を飲む習慣をつくったり、「ここで作るボルシチってどんな感じ?」とご近所さんを招いて語り合ったり(金髪のドイツ人を驚かせちゃうかもしれないけど!)、金曜日は映画鑑賞会を開くとか、感情日記をつけてみるとか。そんな小さな試みが、変化の海の中にある小さな安らぎの島を作ってくれるのです。

面白いことに、やがて新しい小さな喜びが、古い習慣に取って代わっていくこともあります。故郷に置いてきたお気に入りのマグカップがなくても、「Ich bin Müde(私は疲れている)」と書かれた新しいマグが、そのうちあなたの新しい安定の象徴になるかもしれません(しかも、「疲れは万国共通だよね!」と地元の人との話のきっかけにもなります)。こうした習慣こそが、少しだけコントロールを取り戻させてくれ、予測可能性を与え、最終的にはほんの少しリラックスする余裕を与えてくれるのです。

もう一つ使えるやり方として、“よろこびのキット”を作るという手があります。家族の写真や手紙、お守り、小さな思い出の品を詰め合わせておくのです。悲しいときにそれを開き、昔の卒業写真を見て笑いましょう(そういえば、あのときの服装はどの国でも変わらず面白いものだった……そんな共感に励まされます)。これは、新しい現実の中でも自分を取り戻す“早送りボタン”のような役割を果たします。

そしてもちろん、ユーモアも忘れずに。レモンを渡されたら、ドイツ流だとニシンをレモネードに入れられるかもしれません(あるいは少なくとも、酢漬けニシンサンドを勧められるでしょう)。笑いは、どんなに厳しい局面でも切り抜けさせてくれる強い味方であり、「確かに大変だけど、みんなでなんとかやってるよね。ときどきパンをバゲットと間違えたり、“おはよう”を変な訛りで言ったりもするけれど!」といったことを思い出させてくれます。

結局は、新しい習慣を作ることも大切だし、オープンに助けを求めることも怖がらないようにすることです。少しずつ、昔からの郷愁がもたらす閉塞感がほどけていき、見えない新たな“錨”が背後に育っていきます。それは、あなた自身の、移動可能な拠点とでも言うべきものでしょう。

家を失うことは確かにつらいですが、もう一度作り上げることは不可能ではありません。一歩ずつ、一杯のお茶ずつ、一つのジョークずつ。最後に、ある賢い移住者が言った言葉を引用します。「もしどうしても家に帰れないなら、新しい猫を飼えばいい。少なくともドイツ製のテディベアでも買ってみるといい。コーヒーが濃すぎても抱きしめるときに文句は言わないよ」。

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ですから、こうした儀式やちょっとした習慣が、毎日を少しずつ安定させ、心に落ち着きをもたらします。やがてどんなに見知らぬ場所も、だんだんと馴染みあるメロディーを奏でるようになり、郷愁ももはや嵐ではなく、優しいそよ風のように、新たな発見や喜びへと背中を押してくれるのです。

新しい土地でつくる安心感──小さな習慣が心をつなぐ魔法