心を守る:安心を選ぶ力


人には誰しも、根源的で深い「保護」への欲求があります。それは、ただ安全であるだけでなく、自分が暮らし、呼吸する場所で安心を実感したいという思いです。この必要性は、食事や睡眠と同様に基本的なものです。家に帰るとき、雨風をしのぐだけでなく、感情の嵐からも守ってくれることを期待します。保護とは、ただ天候をドアの向こうに封じ込めることではなく、心や気持ちが休息・回復し、あるがままでいられる空間をつくることなのです。

ところが、この「守られている」という感覚が失われると、ものごとが少し不確かなものに感じられます。あたたかな毛布を期待していたのに、冷たいすきま風しか感じられなかったり、心地よい夕食を楽しむはずが、料理人が主な材料を入れ忘れたような状態に気づくかもしれません。足音が聞こえるだけで心臓がどきどきし、ドアが閉まる音で肩がこわばる……といった具合に、細かいことまで気になり始めます。ときには、鍵が回る音を聞いて息をのんでは、「今日はどの“パパ”がやってくるのだろう?」と考え、できることならエンドロールまで早送りしたい気分になるかもしれません。静かな安息の場所であるはずの家が不安で満たされると、大好きな椅子でさえ、とげのベッドのように感じられてしまうのです。

では、どうすればいいのでしょうか? 安全を求める本能は、たとえ小さな行動であっても、非常に強力な助けになります。ドアを閉め、照明をつけ、ゆっくりと深く呼吸する(これは時に「不安に対する普遍的リモコン」と呼ばれます)だけでも、私たちは「自分にはコントロールできることがある」と思い出せます。こうした些細な習慣は、大変な日には取るに足らないように思えるかもしれませんが、どれも大切な意味を持ちます。それらは脳と心に、「たとえ一歩でも、私たちは自分の幸福のために行動している」というシグナルを送ってくれるのです。周囲の壁さえ、味方にすることができます。「自分自身のために環境を変えられる」という事実を思い出させてくれるからです。結局のところ、ドアは冷たい空気を通さないためだけにあるわけではありません。ときには、あらゆるナンセンスを締め出してくれるすばらしい道具にもなるのです。

自分の境界を守り、感情的・心理的な安全を尊重することの最大のメリットは、安心感と、自分の人生を自分でコントロールできているという感覚を取り戻せることです。小さなステップを一つずつ踏むたびに、自分自身のスペースがゆっくりと戻ってきて、息が少し楽になります。やがて家は敵地のように感じられなくなり、むしろ頼れる砦のように思えるようになるでしょう──たとえ定期的に手を入れる必要があっても。時間がたつにつれてストレスは減り、レジリエンス(回復力)は高まり、エネルギーも増えていきます。結果として、自分が本当に望む人生を生きる力が湧いてきて、ただ与えられた状況をなんとか生き延びるだけという状態から脱することができるのです。

忘れないでください。自分自身の安全を守ることは、実際的であるばかりか、とても力強い行為であり、そこに恥じることは一切ありません。自分の幸福の「建築家」であると考えるのもいいでしょう。跳ね橋や隠し通路を設けたり、堀にはアヒルのオモチャを浮かべたり──どんなに厳かな砦でも、ユーモアは必要かもしれません。あなたは保護されるに値する存在であり、安心のために踏み出すどんな些細な行為も勇気という名の行動です。境界を設定し、自分のためのひとときを持つたび、人は強くなり、希望を一つひとつ積み上げていきます。心の安寧を大切にしてください。安全を選ぶ人は、たとえ声を大にしなくても、この世界を少しやわらかく、ずっと人間味あふれるものに変えていくのです。

心を守る:安心を選ぶ力